修行前に決めていた4年間という修業期間を予定通り終え、出店先に選んだのが誰も知り合いのいない山口県宇部市。知り合いなし、顧客なしからでも繁盛できる自信が僕にはあった。
なぜかというと、「お客様で溢れ返す、福岡の大繁盛店で修業できた」からだ。
そう、修行先を見れば結果は分かってしまうのだ。
2014年に宇部新川に焼鳥一力を開業し移転を経て繁盛店まで導き、2019年9月には焼鳥&ワイン「RICKY」を宇部新川にオープン。2020年3月には焼鳥一力小野田店をオープンさせる事ができました。
そこで今回は、「3年で飲食店を廃業させた経験のある僕」が、焼鳥屋を開業し軌道に乗せ、繁盛させるまでの流れや、気付き心構えをご紹介します。
Contents
職人目線ではなくお客様目線で考える
業態を決めたのはオープン1か月前。たまたま友達と食べに行った焼鳥屋での彼らの反応に衝撃を受けたことがきっかけだった。
その店は、スライスした豚バラ肉に野菜を巻いた「野菜巻き串」に特化した焼鳥屋。福岡県の焼鳥は、串に刺せばなんでも焼鳥と言うぐらいメニューのラインナップは豊富で、バラエティーに富んでる。だから、野菜を豚バラ肉で巻き串に刺した焼鳥にも馴染みはあったが、本格焼鳥で勝負をするつもりの僕からすると、そんなオシャレな串は邪道だとワンランク下げた評価を勝手にしていた。
オーダーは、風呂桶ほどのカゴの中に入った30本。その串から好きなネタを選ぶスタイル。この店は福岡の繁盛店でそのスタイルも知っていたので僕は何とも思っていなかったが、一緒に行った友達はその目で楽しませるスタイルにとても喜んでいた。こんなにも喜ぶのかってほど喜んでいた。その喜んでいる顔を見た時に、お客様には味だけではなくエンターテイメントの要素も提供しなければならないのだと気付いた。
職人目線のこだわりを貫き「うまいからこれ食べてみろよ」ではなく、一般のお客様の目線に立ち喜ばれることを提供することも飲食人の仕事だと衝撃を受けた。お客様目線をベースに考えなければ、その先に繁盛はないと改めて気付かされた。
友達が喜んだこの反応を山口県の人に味わってほしいと思い、本格焼鳥で打ち出す予定を急遽オープン1か月前に変更し、山口県にはまだない『野菜巻き串』で勝負に出ることにした。
あらゆるトラブルは想定しておく
友達と共同で事業をすると必ず揉めるというのは飲食店のあるある。僕も、25歳で飲食店を経営していた時、友人に調理を任せていたが、お互いの小さな不満の積み重ねでたった3ヶ月で辞められてしまい、飲食店なのに料理人がいないという、めちゃくちゃ困った状況に陥った経験がある。
この経験を踏まえ、修業先で僕が意識したのはすべての業務を自分一人でもできる状態にしておくこと。料理、接客、クレーム対応、お金のことなど店の運営に関わるすべてを頭に叩き込んだ。
焼鳥修行も終わり開業した今回も、方向性の違いからわずか1カ月で唯一の調理スタッフも辞めてしまう。もしかしたらという想定はあったが、焦ったのは事実。しかし今回は違う。ここで俺の本領発揮だ!と勇んだが22席の店を一人でまわせるわけもなく、たまたま見つかった料理が趣味の大学院生と元々いたアルバイトの女の子の3人で何とか営業をすることができた。
僕がこれから自分が現場に立って飲食店を始めたい人に伝えたいこと…
- スタッフが辞めてしまうことは予め想定しておく
- 何か起こった時のために、自分ひとりでも対応できる手立てを修行時から身に付けておく
この2点を意識することは重要だとおもう。
過去の経験からある程度のトラブルは覚悟していたが、やはり自分一人の力で店を運営することはできない。トラブルや失敗は無いほうがいいと思うかもしれないが、トラブルがなければ困ることがない。するとその大切さや感謝の念も生まれにくい。今回改めて一緒に働いてくれる仲間に感謝できたことは、突然やめたスタッフのおかげで、この感謝の感情があふれ出る経験のもとになった。辞めた彼にも、感謝だ。
オープン景気を上手く利用する
オープン数日間は、お客様がこぞって来店してくれる「オープン景気」というものが普通はあるけど、それがうちの店ではオープン後1ヶ月間で1日しかなかった。その1日と言うのも、店舗工事に携わってくれた方々が、みんなで宴会してくれたその日のみだ。
リアルな数字を上げると、オープン1ヵ月目の売り上げは130万円(客単価4300円)。来店者数1日11人。とても少ない。
ではなぜオープン景気がなかったのか。理由は、
- オープン告知広告を打っていなかったこと
- 友達にオープンを知らせていなかったこと
- そもそも開業する場所に、知人がいなかったこと
が挙げられる。
広告を打たなかった理由は、準備から開業日までのスケジュールがバタバタで、レセプションを出来なかった為、どのように店を回せるか分からなかったし、どんな問題が起こるか想定が出来ない為、お客様を集めて不快な思いをさせたくなかったので、もう少し慣れてから広告を出そうと思っていた。
案の定、オープン初日に問題勃発。換気扇が全く効かず、串を1本焼いただけで店内が煙で真っ白に。営業どころではなくなり、来てくれたお客様を断るはめになってしまった。
慣れないうちから大勢のお客様の対応をすると、何かしらのトラブルが起きた時に、取り返しのつかない事態になってしまう。オープン時は特に口コミを広めさせるチャンスだから、お客様がいい情報を広めてくれるのか、悪い情報を広めてられるのか、タイミングを読み間違えると、取り返しのつかない事になる。
だから広告を打つのは、少し慣れてからでも大丈夫。タイミングは遅れても、必ず遅めのオープン景気を体験することは可能だから、心配しなくてよい。
次に、友達に知らせなかった理由は25歳の時に学んだ飲食店経営時代にある。店が暇な時に「うちの店使ってよ」という営業電話をよく友達にかけていた。きっと彼らは嫌な思いをしただろう。もう自分のエゴのために友達を使うことは避けたかったので、友達に頼らない経営をしていこうと決めていた。なので、知人がいない地での営業も問題なかったし、逆にいない地だからこそ、知人に依存しない営業で結果を出す他なかった。友達、知人がいなくてもいい店を作れたらお客様が必ず広めてくれる。その口コミは、『友達が店を始めたから行ってやってよ。』より、『あのお店、たまたま通りがかりに見つけてふらっと寄ってみたけど、めっちゃいい店で…』の方が効果は絶大。この会話を作り出すにはリアルなお客様が必要で、この口コミに至るにはお客様が不快に感じる要素をいかに減らしていくかが重要なのだ。
オープン時に稼げるだけ稼ごうなんて、目先の利益にとらわれるより、長いスパンで商売をみていった方がいいだろう。
そして、オープン景気はオープン後1~2ヶ月経ったとしてもそこから爆発的な好景気を味わうことが出来る。猛ダッシュを決め尚且つ継続させたいのなら、お客様を満足させる為の準備は必須だと思う。
税理士(専門家)をつける
税理士さんをつけるか、つけないかという問題は、個人事業主の飲食人同士の間でよく話題に挙がる。店の規模が小さい場合、月々の顧問料(1万5000円~3万くらい)を払うくらいだったら経理は自分でやった方がいいという意見は多い。
1店舗目の僕の店は22席程の小さい店だったが、初めから税理士さんをつけると決めていた。「そんな小さなお店でそこにお金をかける必要あるの?」と周囲には言われたが、お金をかけてでも真面目な商売をしたかった。真面目にやって数字も学べ、自分では手が回せない仕事も振れて最高ではないですか。オープン当時は午前10時から仕込みして、午前3時まで営業をしており、仕込みや片付けなどを済まして帰宅するのは午前4時という生活が続いていた。体力をフルで使って働いていたため、お金のことを税理士さんに投げ出来ていなければ、きっと体がパンクしていただろう。それと、数字が苦手だということも大きい。苦手なことを一から覚えてやるよりは、そこをプロに任せることで、自分のやるべき仕事に没頭できるのではないかという判断からだった。
結果的にお金の管理を税理士さんにお任せしたことは、非常に良かった。確定申告の時には、節税対策や消費税のことなど、為になる情報を教えてもらえる。これは毎月の付き合いがあるからこそだろう。商売を始めてやる方なら特に、今の売上でいいのか?原価率は妥当なのか?売上に対して人件費はかけすぎていないか?等々、経営に対しての知識がない方も多いはず。まずは本業にお客様が来てくれ、リピートしてくれ、軌道に乗らすことが最重要事項。苦手なこと、プロに任せたほうが効率のいいことは任せ、自分は今できることでベストを尽くそう。
オープン1カ月後に客足が爆発した1枚の広告
オープンから1ヵ月が経ち、店のオペレーションになれてきた頃、やっと広告を出すことにした。
小さな店の場合は広告を出すことも、とても勇気がいる。例えば2万円の広告を出すと、10万円以上の売り上げを出さなければ採算が合わなくなる。けれど僕は見てもらう人にインパクトを与えるため、10万円の大きな広告を出すことに決めた。
お金がないにも関わらずなぜ大きな勝負に出たのか…それは商品に絶対的な自信があったからに他ならない。山口県にはまだなかった豚バラスライスで野菜を巻いて串に刺して焼く「野菜巻き串」を提供していること、その串が大量に盛られたカゴを初めて見た時の友達の何ともいえない嬉しそうな表情から、山口の人も絶対に喜んでくれるという自信があった。お金がないからという理由で、小さなジャブを打っていくより、当たるかど分からないけれども大ぶりのパンチで勝負をかけた方がお客様には響きやすい。
予想通り、広告掲載後に訪れた1カ月遅れのオープン景気と、そこからとどまることのない快進撃が始まった。
お客様が入店しやすい店づくり
僕の店では、2回目に来店してくれたお客様は必ず常連様とみなし、「前も来てくれましたね、ありがとうございます。」と伝え、注文とは別にサービス料理を提供している。「覚えていますよ、あなたのこと知っていますよ」をアピールしているのだ。
お客様の顔は、なんとなくの特長をつかみ意地で覚えてきた。そうした日々を繰り返すうち、サービスを出す回数が増えていき、お客様の数が増えてきたことが実感できた。
また、街で常連さんを見かけると、向こうが覚えていなくても挨拶をする。「焼鳥一力です。また店で会いましょー」てな感じで。向こうはいい迷惑かもしれないが、邪魔になりそうではなかったら必ず行くようにしている。それをすることによってお客様は、「店側から挨拶してくれるということは、次行った時も絶対覚えているはず」と思い、来店しやすくなる。
常連様に出すサービスは一度出したら一生続ける。週に3回の来店でも、1年に1回の来店でも、絶対にサービスは出すという覚悟の上で提供している。常連さんが数人仲間を連れて来店してくれた時には、「いつもありがとうございます」と言って、グループ全員にサービスを出している。そうすると、常連さんは仲間から感謝され、鼻高々。
飲食店でスタッフとお客様が仲良くなることは、ありそうであまりない。こちらから心を開き、「覚えていますよアピール」をすることは、お客様が気まずい思いをしないで入店出来る要因のひとつなのだ。その空間づくりと、入店する際の気まずさの排除は、サービスの基本である。
スタッフへの気配りを大切に
オープンから1年間は深夜3時まで営業をしていた。それはお金もなく、知り合いも全くいない中で、少しでも多くの人に店を知ってもらうために自分に課したルールであったが、体力的にはとても辛かった。
こんなことをずっと繰り返していたら体が持たないし、もし病気になって店を休みことになってしまったら元も子もないと気づき、その頃からこのシステムから早めに脱却していかないとその先の未来はないなと考えていた。
そんな矢先、やっとフルタイム勤務希望のスタッフが来てくれた。元々は週に一度は来店してくれていた常連のお客様。あちらから「この店で働けませんか」と声をかけてくれた。
聞けば居酒屋で焼鳥を焼いているという。喉から手が出るほどフルで働いてくれるスタッフが欲しかったため、面接もなく即採用した。
彼の前職の居酒屋は、僕の店の3倍の席数でそこの焼鳥は一人で焼き店を回していると聞いていたため、これはなかなかの実力があるのではないかと思っていたのだが…。うちの店では、焼くことすらまともにできていなかった。そして入店してわずか一週間後に辞めたいと言って泣き出してしまった。
勤務時間が長いため、体力的にも精神的にもきつく僕が求めるレベルも高すぎていたことが理由だろうと思う。辞めたいと言われた時に初めて、店に人生をかけているオーナーと、雇われの身である一従業員との間にモチベーションの差がとても大きいことに気付き、「職人とはこうあるべきもの」を強要しすぎていたと反省した。
自分の今後の焼鳥職人として生きて行くスタイルと、スタッフに対する接し方の両方を考える時期が来たと感じ、開業1年以上を経過したこの時にやっとブラック企業(笑)からの脱却を決意した。
営業時間短縮でお客様が溢れ返す店に
体力の限界まで働き、意地で売り上げをあげようとしていたシステムを変えるため、まず深夜3時までの営業を深夜0時で切り上げる決断をした。オープンから1年半が経ち、お客様も増え、売り上げも順調に伸びていた頃。週末には深夜1時から必ず満席になっていたため、苦渋の決断ではあったが、その溢れたお客様が早い時間帯に来るようになるのではという算段もあった。
これまで深夜帯に来ていたお客様が、早い時間帯に来ると、お客がさらに増え満席となり入店を断ってしまうことになる。だが断ることによって、次回飲みに行く時はまず一力に予約電話しようという流れを生み、「外食=一力」という図式が頭の中に浮かぶのではと思ったのだ。
営業時間を凝縮させてお客様を溢れ返す…この狙いが見事的中。オープン2年目の年末には、9.8坪22席で月商420万円を達成した。
移転(店舗拡大)を決意
開業し1年半たったころ、1年間以上月の売り上げが9.8坪22席で300万円を切らず、お客様の来店数が安定してきて、遂に2号店の出店を決意をした。平日は確実に1回転、週末には2回転し、満席状態でお客様を毎日のようにお断りしていた。フル勤務のスタッフが1人いたため、1号店目を彼に任せ、僕は2号店目をメインで運営するつもりで物件探しを始めた
出店場所の希望は、既存店よりなるべく離れていない場所。なぜかというと、既存店が満席でお客様を逃してしまっているので、その受け皿となるには近くがいい。近ければ近いほうがいい。できれば道を挟んで、真向かいでもいいぐらいだと考えていた。
毎日10人はお客様をお断りしている。週末となれば電話予約を入れると30人ぐらいは断ってる。その断ったお客様は、次にまた飲食店を探すだろう。その他の店に流れていたお客様が、自店の2号店に流れたとしたなら、もし30席のお店を開業したとすると、平日は3分の1の10席、週末に限っては初めから満席状態を作ることができる。繁盛し築き上げた自店のブランドを店舗展開に有効に使うには、お客様を共有するってことがとても重要になる。
探し始めて数か月。運良く近くにいい物件が見つかり、ここに決めようと思いスタッフを現地に案内した。「ここで、2号店をやろうと思う。」「1号店をお前に任せる、頼むぞ」と。そう言ったとき、彼の表情が一瞬曇った。あれ?うれしくないの?繁盛店の店長だよ?自由にできるよ?そうなんです。僕は自分の感情だけしか考えていないで、だれでも皆、店長になれたらうれしいと思い込んでいたのです。従業員からしてみると、店長にもなりたくなければ、忙しい店で働くのもうれしいわけではないし、独立目指してるわけでもなければ、焼鳥技術を極めたいわけでもない。僕が独立するために修業した時の気持ちを修行する立場の人がみな持っていると思い込んでたただの勘違い野郎だったのです。25歳から3年間で廃業した苦い過去から脱却し、あれだけ夢にまでみた2号店目の出店はとりあえず踏みとどまることにした。
では、先に進みたい俺はどうしたらいいのかと考える中で、今度は2号店ではなく「移転」という選択肢が頭に浮かび上がってきた。
220万円かけてのポスレジ導入
「ポスレジ」とは、注文を受けた時点でその内容がキッチンのオーダー表に記録されるシステム。22席の小さい店で導入した。
これまでは複写式のオーダー用紙にボールペンで書き込む注文の取り方をしてきたが、次の店舗は既存店の倍ぐらいの広さを考えていたため、その広い店内で効率良く動けるよう、また移転後にスムーズにオーダーが取れるよう、早めに導入した。ポスレジ自体は導入して非常に作業効率は良くなったと思う。しかし、お客様にはこんなに狭い店でその機能必要?と、よく言われてた。
今回購入したポスレジは、たまたまポスレジの存在を知った日にたまたまポスレジの営業電話がかかってきて、何もわからない俺は何故か勝手に運命を感じ、そのままの勢いで契約まで勢いよく進んでいった。しかし、こんなに大金をかけなくても購入は可能。必要な機能を良く考え、下調べをし、本当に必要なポスレジを購入出来るようしよう。
まとめ
以上が焼鳥一力を開業してから軌道に乗せるまでの流れになります。これから焼き鳥屋を開業させたい人のお役に立てれば幸いです。
次回は移転(店舗拡大)のお話です。