僕は中学卒業まで美祢市で暮らし、卒業後に美祢から出て行きました。たまに帰省しても、人はいないし、遊ぶところはないし、することもないと、歳を増すごとにどんどん地元への愛着も薄れていきました。
きっかけは同窓会
今からちょうど一年前。十数年ぶりに小中学校の同窓会がありました。
共通の話題である過去の話でみんなで大いに盛り上がりました。そしてそれぞれの現状を報告し合い、全国に散らばった同級生の活躍ぶりをみんなで大いに喜びました。
そんな会話のなかで、美祢在住の女の子が、少しだけ寂しそうに呟いたんです。
「外で得た知識や技術を、美祢市の為に使ってほしいな…。」
ちえちゃんに初恋したのも、毎日本気で野球してた消防署の横の公園も、何もないのに行きたくなる場所エポックも、全ての思い出はこの『美祢』であった事なのに、この『美祢』に感謝をしていなかった事に気付かされました。
『そうか、俺達は美祢市で生かされてもらってたんだ。』
あの一言で、今までなかった感情が溢れ出し、パズルのピースが一つはまったような気がしました。
故郷・美祢に恩返しを
現在、焼鳥屋の大将として働く私が、地元の為に出来る事。地元の人が喜んでくれる事。そして、自分が楽しく出来る事。
生まれ育った「美祢」に感謝・恩返しするため、一年越しの感情を形にするため僕は動き出します。
美祢になかったものを作る
僕が先日、焼鳥一力としてある飲食イベントに出店した時のことです。なんの変哲も無い商店街に流れる大音量のレゲエミュージック。普段決してレゲエミュージックに触れることのない老若男女がレゲエミュージックをBGMに美味しい食べ物とお酒を楽しみ。その笑顔溢れる最高の空間を経験し改めて「音楽の力」を実感しました。
僕の故郷である美祢にはライブハウスがありません。イベントやお祭りでステージが組まれることはあっても、イベント自体が少ないのが現状です。
音楽に最も興味があるはずの多感な若者たちも、ネットやSNSで情報だけがインプットされるだけで、音楽の醍醐味であるライブを体験する機会がないんです。
僕は決めました。
美祢を「食」と「音楽」で笑顔にする。
これを最初に形にする”ワクワク”にしようと思います。